写真機以外の機器

 


コンピュータ関連

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コンピュータ、タブレットの類は数台持っているが、メインで使っているのはMac mini と iPad mini。しかし、Mac mini は2台の外付けディスプレイと結び付けられていている。必要に応じて下記の音響機器とも結び付けられる。

 

 


 音響・画像関連

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ブルーレイ録画再生機、ビデオプレイヤー、レコードプレイヤー、カセットテープ・USB・SD カード録音・再生機、4台のプリメインアンプがつながっている。ブルーレイ録画再生機は CD プレイヤーとしても使用することがある。4台のアンプのうち1台は真空管アンプ。

写真中央部分、上から順にレコードプレイヤー、プリメインアンプ、真空管アンプ。

 

 

1973年に買ったスピーカー「SX 3」。購入後40年以上たっているが、問題なく使用できる。このスピーカーが部屋の両端に1つずつあり、黒色のプリメインアンプと つながって、低音用として使われている。

6台のアンプを「入力」端子と「出力」端子経由で繋げてある。それぞれのアンプにスピーカーが2つずつ付いているから、合計12個のスピーカーから「低音」「中音」「高音」に完全分離して音が出る。

 

ものすごく豪華な装置だと思われるかもしれないが、実は、普通であれば廃棄処分されるだろうと思われるガラクタを組み合わせた「廃物利用」であり、お金はあまりかかっていない。写真機の修理と同様、すべて「自己責任」で行っている。

 

 

昔の真空管時代のやわらかい音が懐かしくなり、真空管アンプを衝動買いしてしまった。


 蓄音機(日本ビクター社、Victrola)

 

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蓄音機はいわば私の人生の「原点」と言える機器だ。物心ついた頃から歌の意味もわからずに聞き続け、大人になってからかかわり続けることになった言語学や音楽に必要な音声感覚を敏感にしてくれた機器だ。

テレビの推理ドラマなどで、推理の根拠が希薄なときにベテラン刑事が

「まあ、これは刑事のですな」

などと言う。理屈で説明できないことを「これは勘だ」と言う。うまい逃げ口上のようにも思えるが、実際は「勘」というのはすべての出発点なのだ。理論化や根拠付けはその後だ。

私はコンピュータも含めたさまざまな機器の「正常・異常」を「音」で判断する。機器に関する理屈は何もわからないから、すべて勘で判断する。説得力はないかもしれないが、退職して自由人となった今となっては人を説得する必要もないのでこれでいいのだ。

蓄音機に関して先ずやったことは金属部分をぴかぴかに磨くことと、ぼろぼろになったゴム製の部分を代替材料で復元することだった。

筐体の中の機械は頑丈にできているので何ら問題ない。レコード針は1986年にチューリッヒの蚤の市で購入したものがそのまま残っている。78回転のSPレコードは置き場所に困るほどたくさんある。

さっそく鳴らしてみるとはりのある澄んだ途方もなく大きな音が出て感動した。電蓄と違って音量の調節はできないので、この蓄音機を鳴らすときはすべての窓を閉める。音の電気的な増幅なしに、音の経路、の角度、箱の材質だけでこのような大きな音が出せるとはすばらしい。(拙著『せやみのこだわり』より)

 

 

(2枚目の写真は筐体の蓋の内側中央)

 


 明治時代の柱時計(精工舎製)

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(この)柱時計は明治時代に私の曾祖父が買ったものだから、おそらく1800年代の物だろうと思う。ここ40年間程は動かしたことがないが、私が大学を卒業した後まで実際に使用されていて、その後別の柱時計が手に入ったために押し入れに入ってしまったのだから、機械の部分は壊れていないはずだ。分解掃除をすれば正常に動くだろう。

そこでなじみの時計屋さんに費用を尋ねたところ、一万円から一万五千円ぐらいだろうと言う。費用の件はともかくとして、私は自動車を運転しないので、時計の運搬も苦労の種だし、メカを覆う木製の部分がもろくなっているため、持ち運べば表面が剥がれてだんだんみすぼらしくなる可能性がある。手で運ぶには重過ぎる。そういう訳で、動かない状態の時計を自室の柱にインテリアとして掛けておいた。

 2011年3月11日、東北大地震が発生した。名古屋の我が部屋も何だか気持ちの悪い揺れ方をしたが、激しい揺れではなかった。私はその時、偶然にもその柱時計の方を向いていた。部屋が揺れたとき、何とその時計が地震の揺れを利用して振り子運動を始めたのだ。私はこの百数十歳になる時計がいとおしくなった。

(途中略)


メカを分解すれば組み立てが大変だ。下手をすれば元に戻せなくなる。それで分解せずに丁寧にミシン油をふりかけ、振り子と歯車の接点の曲がり具合をペンチと指で調節した。これできちんと動くようになった。

それ以来、百数十年前に作られた時計が全く止まることなく、裸の状態で動き続けている、これは感動ものだ。

(拙著『せやみのこだわり』より)

 

文字盤は、中のメカの動きが見えるように、わざとはずしてある。 

 なお、「精工舎」というのは端的に言えば現在の「SEIKO」。

文字盤を付けた状態で SEIKO 製の電波時計と並べてみた。文字盤の数字のデザインと長針・短針のデザインは全く同じだ。数字以外のローマ字に「SEIKOSHA」と「SEIKO」の違いがあるだけだ。

なお、電波時計の下の部分はありあわせのおもちゃを置いただけであり、電波時計本体とは無関係である。

古時計の長針と短針が白くなっているのは、文字盤を外したときに見やすいように私が勝手に塗っただけであり、元々は電波時計と同じく「黒」である。元の「黒」に戻そうかとも思っている。

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この2つの時計(精工舎製の柱時計とSEIKOの電波時計)を合体させて、【明治時代の電波時計】を作ってみた。文字盤の周りの丸い部分のサイズは同じだし、文字盤のデザインもほぼ同じなので、違和感が感じられない。

振り子を動かす装置はサードパーティ製のものを使った。結果、【秒針付き電波柱時計】が完成した(笑)。

【曽祖父】が買った柱時計を【曾孫】である私が電波時計に変えたことになる。

小坂家4世代にわたって、天皇家で言えば、明治、大正、昭和、平成、令和の5世代にわたって使用されたこの時計。これほどまで使用されたら、時計としても思い残すことはあるまい。